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ローマの休日アン王女はどこの国の王女?モデルは誰?

ローマの休日アン王女はどこの国の王女?モデルは誰?
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ローマの休日は、某国の王女と新聞記者との1日の恋を描いた物語。

オードリー・ヘップバーン演じるアン王女の天真爛漫な振る舞いや、ころころ変わる表情に魅了されてしまいますね!

そんなアン王女、一体どこの国の王女なのでしょう?

モデルはいるのでしょうか?

いるとしたら誰がモデル??

そんな疑問について、調査をしてみました!

今回は「ローマの休日アン王女はどこの国の王女?モデルは誰?」と題してお伝えしていきます!

ぜひ読んでいってくださいね♪

 

ローマの休日アン王女はどこの国の王女?

それではローマの休日のアン王女が、どこの国の王女なのか調査していきます!

 

ローマの休日アン王女は架空の国の王女?

映画の中でアン王女の国名は出てきません。

また公式にも「どこの国」かは言及されていません。

結論から言うと、「架空の国」の王女というのが正解なのだと思います!

ただ、ローマの休日のアン王女は、イギリス人のように思える節がいくつかありますよね。

  • 「アン」という名前がイギリスらしい
  • ヨーロッパで古い歴史と伝統のある国の王女
  • 王室があり、女王が認められる国の王女
  • 自国の人とも英語を話している
  • イギリスの女王様が使うような言葉遣いをしている
  • アン王女を演じたオードリー・ヘップバーンは、イギリスの女優

こうして並べてみると、どうしてもイギリスの王女様をイメージしやすいと思います!

ではなぜイギリスの王女ではないと考えるかというと、

映画の中でそれを否定するように、他国に表敬訪問していく際、最初にイギリスのロンドンを訪れているからです。

ここでイギリスという選択肢はなくなります。

誰もがイギリスでは、と思うからこそ最初にイギリスの可能性を否定しようとしていることが伺えますね。

素敵な映画なのだから、国名がはっきりしていてもいいのでは、と思われるでしょうか?

なぜ「架空の国」としているのか、理由を探して行きましょう。

 

架空の国の王女としている理由はなぜ?

それでは、「架空の国」としている理由はなぜでしょう?

アン王女の1日の恋物語は映画ですから、なかなかハプニングだらけです。

  • 宮殿をひそかに脱出して夜のローマをぶらぶら歩く
  • 知らない一般男性の家に泊まる
  • タバコを吸う
  • スクーターを乗り回して街を騒がせ、警察に捕まる
  • エージェントを2度ギターで叩き、バッチリ写真も撮られている

などなどたくさんの”冒険”をしています。

これで「どこの国の王女」と特定するような発言をしたら、その国に対して失礼に当たりますよね。

ましてや現在王女がいるような国に対して言うことはできません。

なんとしても、「こちらは架空の国の王女で、フィクションです。」と言わざるを得ませんよね。

そして、「架空の国の王女」の物語だと言われた方が色々な想像もできるので、ファンにとっても好ましいことなのだと思います!

ローマの休日はアメリカ映画ですが、他国との関係を保ちつつ、プリンセスの恋物語を描きたかったので、「架空の国」としたのだと感じました♪

 

ローマの休日アン王女のモデルは誰?

ローマの休日のアン王女のモデルは、エリザベス2世の妹、「マーガレット王女」と言われています。

マーガレット王女は、ローマの休日公開当時、23歳。

絶世の美女で写真も多く残っています。

そして、ローマの休日のアン王女との共通点もあります。

マーガレット王女は離婚歴のある16歳年上の大佐付き合っていました。

しかし、そのような男性は相応しくないと王室関係者にも母親にも反対されて、別れることになったといいます。

悲恋で終わるエピソードが、ローマの休日のふたりに似ているところもありますよね?

 

ローマの休日アン王女のモデルはマーガレット王女?

ローマの休日アン王女のモデルはマーガレット王女だという人は多いです。

ただ、色々と日付を検証していくと、本当にマーガレット王女がモデルなのかな?

と疑問に思うこともあります。

その理由には、

  • ローマの休日が公開された年:1953年
  • マーガレット王女と大佐の恋が発覚:1953年

実は、ローマの休日の公開と、王女の恋がマスメディアに暴露されたのが同じ年だったからです!

映画は公開されるずいぶん前から構想、製作されていたはずですよね。

実は映画関係者が極秘情報を知っていたか、たまたまイギリスの王女に映画と同じようなことが起こったかの2パターンかと思います。

ただ、王女と大佐の恋が発覚してからの母親を含めた周囲からの凄まじい反発を思えば、ごく身近な人でさえ知らなかった可能性があります。

そしてマーガレット王女と大佐が正式に別れたのは、1955年のこと。

映画の公開後のことですね。

そのため、マーガレット王女のエピソードをそのまま使って映画を製作したというわけではなさそうです!

偶然にもマーガレット王女が映画と同じような状況にあることが発覚し、ローマの休日の映画はさらに盛り上がったのではないでしょうか?

それでは、マーガレット王女はモデルではなかったのかについても考えていきたいと思います。

イギリス王室には当時、姉のエリザベス2世と4つ年下のマーガレット王女がいました。

姉であるエリザベス2世は、ローマの休日公開当時27歳で、この時には既に結婚していました。

そして妹のマーガレット王女はローマの休日公開当時23歳で、とても美しいと評判でした。

アン王女のモデルになりそうな未婚の王女といえば、「マーガレット王女」が浮かぶことも自然ですね。

直接モデルとしていたかわかりませんが、イギリスのような格式のある某国の、マーガレット王女のような架空の王女の、架空の恋物語として描いていたのではないかと思います。

ちなみにアン王女は1950年生まれですので、名前は一緒ですが関係はないと言われていますよ!

 

まとめ

今回は、「ローマの休日アン王女はどこの国の王女?モデルは誰?」と題して

  • アン王女はどこの国の王女?
  • モデルは誰?

ということを調査してお伝えしてきました!

いかがだったでしょうか。

ローマの休日の公開と同時期に、モデルとされていたのではと思われるマーガレット王女が悲恋を経験していたというのは、とてもドラマティックですよね。

ヨーロッパで歴史と伝統を持つ某国の、王位継承者とされるアン王女。

しかしどこの国とは特定せず、「架空の国」の王女としたことで、現実の様々な問題から切り離されて、ファンタジーの中で永遠に生きていくことが出来るように思います。

これからもアン王女は映画の中で輝き続けることでしょう!

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。